令和元年5月10日(金)

夕べから冷たい雨が降り、せっかくのお休みが少し損なわれたような気がしたが よく考えてみると 晴れようが、雨が降ろうが自分の行動パターンは天気の影響をあまり受けないなあと思ってみたり 

晴耕雨読という言葉は、まあ粋な響きですこと

せっかくの休日だと張り切って外出してみるが平日の雨降りの日に何か別段変わったことがあるわけでもなく、結局近所のコンビニに行くばかり

その途中で通り過ぎる建物と言えば、病院、歯医者、病院、薬局、居宅介護支援事業所、葬祭場、信号を挟んで葬祭場、居宅介護支援事業所、葬祭場…

よく日本は歯科医の数が多く、開業している歯医者さんの数は、コンビニより多いんだとかいう話を聞く  本当か嘘かは分からないし比較する意味もないだろうが

コンビニだって歯医者だって病院だってなければ困るものであり近所に複数あるのは心強いのも事実

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さて、さっきの下りを読み返してみるとあまり日常生活に縁の無さそうな建物が出てきているのはお気づきだろうか?

葬祭場である

葬式は人生で一回でしょうからね 参列する機会は何回あるでしょうが

千代原の住んでいる地域は高齢化率が高いため、こんなにも葬祭場があるのかしらと考えてみたり

高齢化のピークが厚労省のデータ通り2040年、日本人の平均寿命がそう大きく変わらず男性80歳女性90歳で推移したとするならば、死亡する人間の数というのは2060~2070年あたりでピークを迎えるのだろう。

その頃には葬式を挙げるための斎場と、その後に入るお墓の数が足りないかもしれない。お墓については維持管理の問題もあるだろう。お墓に関しては何か最近ニュースになってましたね。葬祭場やお墓といったハード(?)面だけでなく、それを担う人間、つまりお坊さんや葬儀屋さんが不足して、思うような葬儀が挙げられない、なんていうことが起こってくるのだろう。

それに対して外国人葬儀屋や外国人住職なんてことも、あるのかもしれない。

今、介護の現場で起こっていることは、そのままスライドして次のフェーズにあらわれてくるのだと思う

この高齢化のピークの後に来るであろう死とそれにまつわる問題をまとめて2060年問題とでも呼びましょうかね

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リハビリ職として真面目に働いていると、葬儀屋さんやお坊さんと関わることはまず無いだろう。しかしわれわれリハビリ職の間ではこういった言葉がある

『葬儀屋の3分』

病院で患者様が亡くなった場合は、エンゼルケアまでを病院側で行い、それ以降は葬儀屋さんのお仕事となる。この時、亡くなった患者様の関節拘縮が酷かったり、背中や腰が大きく湾曲していた場合、納棺の際に棺の蓋が閉まらない場合があるそうな。棺を大きなものに取り換えることもできるそうなのだが、急に用意できるものでもなく、結局は患者様を『折りたたむ』こととなる。

それにかかる時間が3分。ゆえに『葬儀屋の3分』だ

この時はさすがに家族にも部屋を出てもらって現場を見せないように配慮するが、それでもやはり『音』は聞こえてしまう。何とも悲しい話だ。

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私は理学療法士として働き始めた頃、研修期間中にこの話を聞いた。これはつまり、そうならない為にも、拘縮予防のリハビリを実施しましょうね、というある種、リハビリ新入職員への教育の為のエピソード、すなわち作り話・フィクションに限りなく近いものであろうと思われるが。幸いなことに私はそのような現場に遭遇したり、具体的な事例を聞いたことが無い。これからもそうであって欲しい。

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意識もほとんど無く、寝たきりのままで過ごす患者様に対し、リハビリを実施することは意味があるのか?という議論が職場で挙がることがある。関節可動域の維持だけに絞れば、週に1~2回程度のリハビリで可能ではあると思う。ならば行うべきなのであろうか?それを実施することによって、その方の基本動作が改善されたり、ADLが向上するわけではない。それならば、それは意味のない行為ではないのか?という意見も分かる。リハビリは医療行為である以上、効果のない医療行為を行うことはきっとナンセンスなのだろう。 理学療法士以外の他職種から見ると余計にそう見えるのかもしれない。

この議論は、リハビリを行う意味という観点から捉えてしまうと答えは出ないだろう。

ただし、リハビリをビジネスと割り切ると、あっさりと答えは出てしまう。

一人の理学療法士が計上できる単位数の上限は1週間に108単位と決まっている。そして1単位あたりの診療報酬制度上の点数、平たく言ってしまえば『お値段』は入院期間が短ければ短いほど高い傾向にある。これは勿論病院の規模や形態によって異なるのだが。例えばうちの法人では、疾患別リハビリの期限を超えている患者のリハビリ点数が一番低い。逆に最も高いのは、入院して1週間以内の受傷したばかりの患者である。リハビリの人数と実施できる単位数が決まっているのなら、後者のリハビリを重点的に実施すべきである、という結論が出るのは当然だ。

これを突き詰めると、寝たきりの患者様のリハビリは後回し、もう少し言うならば、他の報酬の高い患者のリハビリが全て終了し、それでもなお理学療法士の持ち時間が余っている場合のみ行われる、ということになる。

経営上では、これが最善手であるし、こうしないと理学療法士の給与も確保できないだろう。

現時点での診療報酬はそれくらい極端な設定がなされている。

おそらく来年以降の診療報酬改定でも、この傾向は変わらないだろう。急性期、回復期のリハビリは手厚く保護され、維持期のリハビリは減額されていく。我々理学療法士はきっと、その流れに従って利益の最大化に努めることとなる。となると、先に述べた『葬儀屋の3分』のエピソードは意味を持たない、陳腐なヒューマニズムとなり、その役目を終える。それは仕方のないことなのかもしれない。寝たきりの患者様には本当に申し訳ないが。

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そして ずっと進んだ いつかその先で 

『葬儀屋の3分』が 自分に訪れるかも知れない

と考えると、リハビリを行う私の手は わずかに鈍ってしまうのだ。

週末も生憎のお天気と聞き、がっかりしている 千代原でした バイバイ

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